2025.03.27 アニメ・特撮ヒーローから鑑みたグリーフのコラム
『HELLSING』考察|死を愛した者たちの“生”の美学

少佐の演説世界から読み解くダークな死生観
「諸君、私は戦争が好きだ」
——その狂気の名言から始まる、闇に満ちた戦場。
平野耕太の漫画『HELLSING』。その世界は、血と硝煙にまみれたダークファンタジーでありながら、死と生の本質をえぐり出す哲学書のようでもあります。
本記事では、「少佐の演説」を軸に、アーカード、ウォルター、セラスといった主要キャラクターたちの“死に様”から、人間の生き方・命の価値を考察していきます。
アーカード|“死ねない者”が求める“死に様”
アーカードは吸血鬼であり、不死の存在。
だが彼が求めているのは、「生き永らえること」ではなく、死を実感できるほどの強敵との戦い。
「殺しに来る者こそが、私にとっての救いだ」
死を迎えることができない苦しみ。
これは現代医療の現場においても、「生かされ続ける苦悩」として見られるテーマです。
アーカードは“終わり”を求めて戦う者。
彼にとって死は「敗北」ではなく、「救済」であり「到達点」なのです。
ウォルター|“完璧な死に場所”を選んだ者
「パーフェクトだ、ウォルター!」
アーカードにそう言わしめるまでの信頼関係にあった完璧な存在。
かつて忠義を尽くした老執事・ウォルターは、改造手術を受けてまでアーカードに挑みます。
その選択は、「裏切り」であると同時に、自分自身の死に様を選んだ意志の表れでもあります。
ウォルターの死は、自己実現の最終形。
死を恐れず、自らの生涯を美しく締めくくった者への、アーカードからの最大の賛辞だったのです。
セラス|死を抱えて“生きる”選択をした者
元警察官のセラス・ヴィクトリアは、吸血鬼としてアーカードに拾われます。
彼女の苦悩は、「人間だった記憶」と「吸血鬼としての宿命」の狭間で揺れること。
「私は吸血鬼になった。でも、あの人たちの命を、無駄にしない」
彼女は仲間の死を背負いながらも、自らの命で戦い続けます。
これはグリーフケアの概念にも通じる「喪失を抱えて生きる力」。
死と決別するのではなく、死と共に生きることを選んだ者。
それがセラスなのです。
少佐の演説に見る“死の肯定”という狂気
「諸君 私は戦争が好きだ。地獄のような戦争が!」
ナチス残党“最後の大隊”を率いる少佐。
彼の言葉は、狂っている。しかし、その裏にある死生観は恐ろしく純粋です。
少佐は、死を恐れない。
むしろ、死に意味を与える者こそが“生きている”と考える。
彼の望む戦争は、「死に値する生を証明する舞台」。
死を迎えられること自体が、彼にとって最大の祝福であり、だからこそ彼は永遠の戦争を求め続けるのです。
まとめ|死を愛した世界で、生を見つめ直す
『HELLSING』に描かれる死は、単なる“終わり”ではありません。
それは、生き方の最終形であり、美学であり、意志の証明です。
アーカードは死を求め、
ウォルターは死に場所を選び、
セラスは死を抱えて生きた。
そして少佐は、死に狂い、死を讃えた。
この物語は、“死の話”ではなく、
「どう生き、どう死にたいか」を私たちに問いかけているのです。
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