2025.04.3 人間心理の深層
餃子がうまく焼けなかった姑と、今の私がようやく向き合えたこと

はじめに:不器用な餃子が教えてくれたこと
「今日もフライパンに食われちまった」
それは、姑が餃子を焼いたときの決まり文句でした。
35年の同居生活の中で、一度として“パリッと羽根のついた餃子”が出てきたことはありません。いつも焦げつき、破れ、具がはみ出す。それでも、姑は餃子が大好きで、何度失敗してもまた作る人でした。
この記事では、そんな姑の「料理の不器用さ」と、そこから見えてきた生き方や心の風景を、今の私の視点から綴っていきます。
料理は嫌いじゃなかった姑
姑は料理が嫌いではありませんでした。
地元の料理教室に3年も通い、レシピノートもびっしり三冊分。それでも、食卓にはその成果が反映されることはあまりなく、料理の完成度はいつも“残念”な仕上がり。
味見をしない、目分量、突然始まる独自のアレンジ。
残ったみそ汁とラーメンスープを混ぜて再利用し、「無駄にしなかった」と誇らしげに言う姿に、私は思わず言葉を失いました。
でも今思えば、それはただ「料理が苦手」だったわけではなく、何か“できない理由”があったのではないかと思うのです。
社会とのつながりもまた、長続きしない
料理教室に通い始めた頃、姑は外出が増え、友達もできたように見えました。けれど、ある時期を過ぎると、お誘いが来なくなり、また家にこもってしまうように。
人付き合いが極端に苦手というわけではなかった。でも、うまく「続かない」何かがあったのでしょう。きっと、本人にもその原因は分からなかったのだと思います。
聞けばいいのに、聞けなかった理由
姑の義母(大姑)は炭酸饅頭作りの名人でした。
聞こうと思えば、いくらでも教えてもらえる環境にいたはず。でも、姑はそれをしなかった。
おそらくそれは、プライドだったのかもしれません。
それとも、「できない自分」を認めたくなかったのか。
姑の実家は歩いてすぐそこにありました、同居の義母に聞けないなら、実母に聞く事も可能だったはず。
だが、そういう関係ではなかったのかもしれないし、姑の母も又同じ人だったのかも知れません。
ここにも、口には出せない生きづらさがあったのではないかと思います。
嫁がうまくやれてしまったとき
私は看護師として働きながら、料理も家事も、普通にこなしていました。ある日、綺麗な羽根つき餃子を焼いたとき、姑は何も言いませんでした。
でも、空気で分かりました。
「これは、刺さったな」と。
意図せずとも“上手にできてしまった嫁”の姿は、姑の自尊心を静かに削ってしまったのかもしれません。褒められることが、誰かを傷つけることになる場合もある。それを、あの時はじめて体感しました。
嫁姑問題の根底にある“承認のズレ”
料理とは、その人の生き方そのものがにじみ出るもの。
だからこそ、「うまくできない」ことは、その人自身の“存在の否定”のように感じられてしまう。
姑は、学歴や経験に誇りを持っていた人でした。女性の高校進学率が低い時代に進学し、家を守ってきた自負があった。けれど、嫁である私は、より偏差値の高い高校を出て、看護師資格を持ち、夫の治療も借金処理もこなし、家の新築まで実現してしまいました。
気づけば、姑の「希望」はすべて、嫁の手によって叶えられていたのです。
それはきっと、苦しかったはずです。
幸せの形は一つじゃないと気づいた今
姑はおそらく、変わらないでしょう。
でも、だからこそ私たちは、無理に“わかりあおう”とするのではなく、ちょうどいい距離感で関係を築き直すことが必要なのだと、今なら思います。
姑の世代では、「親と同居すること」が当たり前で、それが幸せの形だと信じられていた。
けれど実際には、それが必ずしも正解だったわけではない。一緒に暮らすことで、分かりすぎてしまうこともある。
距離を置くことで保たれる関係もある。
いま、ようやくそれを実感しています。
おわりに:まだ生きているからこそ、やさしくなれる
姑はまだ生きています。
だから私はこの記憶を“追悼”としてではなく、“観察と理解”として記録しました。
もう一度、あの焦げた餃子が出てきたら、私は、
「美味しくなかったかもしれないけど、頑張ってたんだね」
そう思って、黙って一緒に食べるだろうか?
“うまくできなかった人生”にも、
その人なりの努力と葛藤があったこと。
そのそばにいた嫁として、今、ようやくその不器用さを、
少しだけ理解しようとしています。