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ご遺体のお医者さん

2023.08.8 コラム

商売の神様、仙台四郎の墓所がはっきりしない理由

こんにちは、遺体感染管理士のエンゼル佐藤です。
さて、本日はタイトルにある「仙台四郎」さんに関わるお話です。

東北、特に宮城県に近い観光地に行くと、この仙台四郎さんのグッズを飾っているお店や売っているお店を沢山見かけます。
仙台四郎さんとは、江戸の末期から明治にかけて実在した人物で、この方が立ち寄るお店が繁盛するという逸話がある事から、いつしか商売の神様として祀られる様になったそうです。
仙台四郎さんについて、詳しい事は下にWikipediaのリンクを貼りますので、そちらをお読みください。
↓ ↓

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E5%9B%9B%E9%83%8E

今回の記事では、エンゼル佐藤がなぜそんな有名人のお墓が無いのか?を法律に基づきながら考察してみた事を書いてみました。

行旅死亡人取扱法

タイトルにあるように、行旅人(こうりょにん)とは旅行中だけでなく、放浪中の人やどこかに向かう途中の人で、その身元がはっきりしない人に関わる法律です。
いわば、行倒れとう状況ですね。
この法律が出来たのは明治32年の事です。

明治三十二年法律第九十三号

行旅病人及行旅死亡人取扱法

この法律によれば、行旅人の死亡の場合、その処置に関わる費用は行旅人が発見された市町村で負担する様にとあります。
細かな事が知りたい方は、下に法律のリンクを貼りますので、そちらをご一読くださいね。
↓           ↓
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=132AC0000000093_20230616_505AC0000000063

私が気になっているのは、仙台四郎さんお墓の所在がはっきりしない事なんです。

死亡年とその地の記載があるのに、墓所が分からないという事情。
(諸説はあるようです)

一説には仙台駅前にあったのを、都市開発の為に埋めてしまったとか有るみたいですが、公共事業で墓地を動かすのであれば、公共用地に改葬として移転する処置をするはずですから、それは無いのでは?と、かつて公務員だった自分はそう思います。
ましてや商売の神様として崇められた人のお墓ならなお更ですよね。

生まれは仙台で、死亡地が福島県の現在の須賀川とされています。
ポイントはこの記載で、仙台四郎さんは生前に放浪癖があり、よく列車で遠方まで行った記録があるとの事。
また、あちこちの飲食店に無賃で入り飲食していた事などから、最後に須賀川に訪れてそこで行倒れとなり、行旅人として処理された可能性が高いと思ったのです。

行旅人として処理された後は、その時の状況を記録した官報が作られ、記録を保存する事になっています。
ウィキペディアによれば仙台四郎さんの死亡年は1903年(明治36年)48歳とあります。

仙台四郎さんが無銭飲食や無賃で列車に乗っても咎められなかったのは、家人がその後始末にきちんと対価を支払っていた事が背景にあるようです。
お店にすれば、どんな高価な飲食代でも払って貰えるなら上客様ですよね。
放浪していても、おそらく家族がその後を探して、須賀川でその記録にたどり着いた可能性はありますね。

仙台四郎さんのご実家は裕福だったのでしょう。
明治という時代背景を考えると、当時は四郎さんの様に知的障害や、重い病人がいるとと世間体を気にして、外に出さない様に奥座敷や座敷牢などに閉じ込めてしまうケースが多かったものです。
好きに外出をして、飲食や列車に乗るなどの生活をしていた仙台四郎さん。
家族がとても四郎さんを大切に思っていたのだと感じます。
明治時代の男性の平均寿命は43歳だったと統計にあります。
48歳まで生きた四郎さんは今で言えば十分に老齢期で、行倒れになっても不思議ではありません。

私は公務員時代に、火葬場管理もしていて、数件の行旅人対処に関わった経緯があります。
仕事柄、墓地埋葬法も随分と読んだので、仙台四郎さんのお墓が気になり、今回の考察に至りました。
須賀川のどこかの地にひっそりと眠っているのでは?
自分としてはそう考えた方が府に落ちる気がします。

行旅死亡人取扱法が出来た背景

これには、悲しい背景があります。
江戸時代で、まだ法律が整備されていない時代。
家の跡取り以外や、お金の無い家庭では死期が迫った病人が居ると、旅支度をさせて家から追い出すという風習があったのそうです。
どこか好きな場所に行って、野垂れ死にする様にした悲しい時代。
仙台四郎さんの様に、おおよそが分かっているのは幸せな方なのだと思います。