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ご遺体のお医者さん

2019.08.24 エンゼル佐藤について

この仕事を始めたきっかけ

こんにちは、遺体感染管理士のエンゼル佐藤です。

「死化粧師(しげしょうし)」

私の仕事の名前です。聞きなれませんよね?

「おくりびと」と言えば分かり易いのでしょうが、商標権の関係で私はそう名乗れないので、上記を名乗っております。

私にこの仕事の教えを説いてくれた恩師がそう呼ばれていたので、私も流れでそう言っています。
でも、多くはきっと三原ミツカズ氏の『死化粧師』を想像するのでは?

あのお話は『エンバーマー』が主人公のお話ですね。でも、私は『エンバーマー』ではありません。

エンバーミング(腐敗防止)をされたご遺体に化粧をすることはあります。
でも、遺体に防腐処置はいたしません。漫画は空想の話ですからここではリアルに。
私も学ぶまでは知りませんでした。

映画『おくりびと』に近いかも知れませんが、映画みたいに美しい仕事ではありません。
お着せ替えはしますが映画みたいな『演出』はありません。もっと奥が深く、けっして
表には出ることの無い地味な裏方の仕事なのです。

別に目立ちたいとかそんな気持ちがあってこの道に入ったわけではありません。自分の過去の痛い失敗体験からこの仕事を学ぼうと思いました。

お爺ちゃんの急逝

私には婚家先の親族に大好きなお爺ちゃんが居ました。

私の幼い息子二人にも好かれる、とても優しい人でした。
若くして婿入りし、沢山の苦労をした人でした。本が好きで教養もあり文字も達筆な人でした。娯楽の少ない時代に本から学ぶ事の楽しさを孫たちに教える、良いお手本の様な人。私の息子の誕生のお祝いに辞典をプレゼントしてくれて、息子達に本の面白さを教えてくれた恩恵のある人でした。

そんなお爺ちゃんがある日、突然に急逝したのです。自宅で心臓発作による突然死でした。地元の医師の往診で死亡診断書を書い貰いましたが肝心の「エンゼルケア(死後処置)」はしてませんでした。

エンゼルケア(死後の処置)とは?

人が亡くなると筋肉が弛緩(緩くなる)し、穴という穴が開いてしまいます。そうすると身体の中に溜まっていた物が身体の外に流れ出してしまいます。胃の中の物、腸の中の物など。

緩くなった肛門から便が。開いた口からは胃液が流れ出してしまいます。寝かせておいても身体が腐敗すると、体内で発生したガスも出てきます。それを防ぐ為に体内の貯留物を出し、穴という穴に脱脂綿を詰めるのです。

それ以外にも傷の手当や全身の清拭など病気が治らずに亡くなってしまった患者さんへの「最後のご奉仕」という事で、昔は看護師が行っていました。
私は看護学生の頃にエンゼルケア(死後の処置)を学びました。

私は高校の衛生看護科で准看護師の資格を取り、外科病棟へ勤務し亡くなった患者さんこのエンゼルケアを行ってきました。脱脂綿を口・肛門・耳・など穴の外から見えない場所へ脱脂綿を詰める事で、体液や便の流出を防ぎガスなどの臭い防止にもなり、
しいては腐敗臭で近寄ってくる「蠅」による卵の産みつけの防止にもなるのです。

私は学校でそして病棟の先輩ナースからその重要性の教えを受けエンゼルケアは必ず必要な事だと学びました。それが、近年では「必要が無い」との教えが広まったのです。

話によると関西地方のとある大きな病院でその必要性が無いとの話が始まったと聞きました。
元々、とても労力のいる作業です。夜勤のナースが一人掛かりきりになるとそれは大変な事ではありました。

一説によればエンゼルケアは「死後の処置」なので、治療をする病院ではその処置料が「治療」目的では無い事から医療点数にならず
「不要」とされた説があるそうです。病院とて経営であるし、ビジネスではあります。しかし、当時はあくまで「最後のご奉仕」だったはずでした。

お爺ちゃんへの”最後のご奉仕”

話をお爺ちゃんに戻します。その、お爺ちゃんのエンゼルケアを当時育児休業中だった私が行いました。あり合わせの物を使い身体を清拭して脱脂綿を詰め、浴衣にお着せ替えしました。

髭を剃り、こけた頬に含み綿を入れてへこみを無くす。虫歯で失われた歯の代わりを作る。とても良い顔になりました。薄っすら笑顔だったお爺ちゃん。

挨拶に来た組内や親せきも「いい仏さん」だと言っていました。急な事でしたがこれで良いお葬式になると思っていました。やり慣れた処置、完璧だとさえ思っていました。

しかし看護師の私は知りませんでした。

崩れるお爺ちゃんの姿

衝撃は翌日に始まりました。剃った髭が伸びている。聞いた事はありましたが見たのは初めてでした。

なぜ、伸びるのだろう?再び、剃刀で剃ってあげましたが心なしか剃った後の皮膚の色が悪くなって見えました。
次第にお爺ちゃんの口が開いてきました。最初は少しが、次第に大きく。翌日の午後にはパッカリと大きく開いてしまいました。

笑顔はもうありません。私の知っているお爺ちゃんの顔では無くなりました。余りに酷い顔なのでガーゼハンカチで包帯みたいに顎を縛りましたが上手く閉じてくれない。
それにガーゼが痛々しい。こんなのは嫌だ。なぜ、閉じないのだろう?

また、亡くなったのは真冬でした。安置した部屋も襖を外し外気温と同じく寒い部屋でした。それでも、二日後には腐敗臭が漂ってきたのです。
今はドライアイスがあるので正しく使えばそんな事はありません。でも、当時は冬は要らないとされました。しかし、酷い臭いでした。

もしかして便でも漏れてしまったのかな?心配になってそっとお爺ちゃんのオムツの中を見ようと着物をめっくてみました。

そこで私は衝撃的な物を見ました。お爺ちゃんのお腹の色が「緑色」だったのです!まるで、アマガエルみたいな緑。一体、何がどうなったのだろう?心臓がバクバクしました。
背中に冷や汗が流れて気分が悪くもなりました。

人が、緑色になるの?そう言えば髭を剃った顔の色もくすんだ色になっていました。

お葬式まで、後二日もある。お爺ちゃんは、この後どうなるのだろう?もしかして、顔も緑色になるのかな?何がいけなかったのかな?なぜ、こうなった?

逃げてしまったお葬式

私が、お爺ちゃんを見たのはここまででした。この後を見る勇気はありませんでした。

もしかして顔も緑色になったらどうしよう?恐ろしくて、逃げてしまった。最後の顔を見ないお葬式。

それがこの後、十数年も私の心の奥底で後悔と懺悔の気持ちを掻き立て苦しむ事になったのです。

答えを求めて〜恩師との出逢い

以後、映画「おくりびと」を観て、あれが私の疑問と当時は分からなった答えだろうか?そう思いおくりびとアカデミーのオープンキャンパスへ参加する切っ掛けとなりました。

しかし、残念ながら答えはアカデミーにはありませんでした。

私が知りたかったのはあの「お着せ替え」の儀式でも「納棺の作法」でもましてやファンデーションを塗りたくる「お化粧」でも無かったからです。

お爺ちゃんがお爺ちゃんらしくあの時のまま。笑顔で笑う、あの顔。好きだった浴衣をみんなで着せて旅のお支度をしたかった。それだけでした。

なぜ、腐敗が止まらなかったのか?あの寒さでも腐敗はするのか?緑色になったのはなぜ?なぜ、口が閉じないのか?色が悪くなったのはなぜ?隠すのに男性でもファンデーションを使うしかないのか?

沢山の疑問があったりましたがその答えに辿り着くにはその後、二年も掛かってしまいました。

途中で遺体からも感染症がうつる事を学び、腐敗を抑える冷却を学び、そして、変色に対応する知識と技術。修復と技術。

幸いな事に私は素晴らしい恩師を得ました。日本ではトップの知識と技術。高度な復元。そして、今でもその学びは続いています。全てはあの時と同じ「悩み」と「苦しみ」を感じている人の力になる事。あの「辛さ」から救う事。

同じ体験をしなければきっと分からない。寄り添うなんておこがましい事は言わない。でも、あの辛さは知っている。

今の知識が、最先端では無い。知識と技術は常に「変化」している事を学びました。一生を掛ける学びです。同時に私の生涯の「使命」と「志事」でもあります。

このページを読まれたあなたの『悩み』と『苦しみ』はなんでしょうか?きっと、あなたの苦しみを救う方法がこのページにある事を願って。