• カテゴリ

  • キーワードで探す

ご遺体のお医者さん

2023.07.28 コラム

日本の火葬の歴史

こんにちは!遺体感染管理士のエンゼル佐藤です。
本日は、火葬についてのお話。
元々、日本では土葬の方が一般的な葬送の形でしたが、今は99%が火葬になっています。
法律的には今でも、土葬が禁止になってはいないので、そこはご注意。
2022年に地元の市役所の市民課で確認しましたが、条件は難しいものの土葬許可証の発行は可能だそうです。
私、個人の話ですが夫の祖母は実は土葬だったのですよ。
次期は今から30年程前ですけどね。
火葬の風習がいつから日本に広まったのか?歴史を紐解いてみましょう。

火葬の風習が広まったのは17世紀頃、日本史で言えば江戸時代前期とされています。
江戸時代は1603年から1868年までであり、この時代は、日本国内の政治、経済、文化など海外との交流が明確化し影響を受けた時代でした。

火葬の風習が広まった理由には二つあり、一つが宗教でもう一つが病気の蔓延だったとされています。

宗教では仏教において、死者の亡骸を焼くことによって霊魂が解脱され、次の世界へと進むことができるとされています。
仏教では、前世・現世・来世との教えで次の世界に(来世)に行くには現世の物は何一つ持って行けない、無になる事とされています。
諸行無常とはそれを指す言葉でもあるようです。

病気の蔓延説では、死者の亡骸から病気が蔓延することから、その身体が拡散の原因とされ火葬によって病原菌の拡散を防ぐことが期待されると思われていました。
そこから、火葬が一般的に広がったと考えられています。

病名については明確な記録が無いために、インフルエンザや風邪、熱病などと考えられています。
ヨーロッパ諸国でも致死率の高い病気の蔓延が歴史上には記録にありますね。
日本でもそんな事案があったと推測できます。

17世紀の日本において、仏教の思想が影響を与えるようになった背景としては、時代の混乱、文化的な変革、国際的な交流の増加などが挙げられます。
政治的な不安定、戦乱、困難などの時代背景があったため、人々は精神経済的な安定と導きを求めたのでしょうね。
そのために、仏教の儀式や信仰が日本の文化に取り入れられるようになったと考えられています。
これらの思想が当然となり、信念を強めるなど考えられています。

因みに、仏教を日本に伝えたのは弘法大師ですが、真言宗を広めた方だと先ごろまで知らなかった。
実家や婚家が真言宗だったのに。。。。

真言宗を広めた弘法大師またの名を空海

いやいや、今更って言われそうですが、ここで知らない若い世代に向けてお伝えしましょう!

弘法大師は、鎌倉時代の日本で活躍した仏教僧侶です。
奈良時代末(774年)香川県でご生誕。
中国から伝来した真言宗を代表する僧侶として、信者を多く持つこととなりました。
真言宗とは、大日如来(だいにちにょらい)が本尊です。
即身成仏というこの世に体があるうちに仏になれるって教えです。

真言宗は仏教でも厳しい教えで、その修行も大変だと聞いています。
仏心を呼び起こす「三蜜(さんみつ)」自身の「身(しん=体の行動)」、「口(く)=言葉」、「意(い=心)」
の三つを整えることが欠かせないと、婚家檀家寺のお坊さんから伺いました。

後に853年に高野山の奥の院で62歳の時に「即身仏」になって、湯殿山総本寺 大日坊瀧水寺に「真如海上人」として祀られているそうです。
今では、生きたまま土中に入り即身仏になりたい!なんて言っても、それは自殺ほう助罪に抵触しそうなので不可能でしょうけど。
宗教的以外で日本人でミイラになった人が一人だけ居ますね。

学術的?ミイラ

日本で記録にある知られている限り、自然発生もしくは宗教目的以外の、学術的?な探究心でミイラになった人は日本で一人いるとされています。
「ミイラ王に俺はなる!」と、言ったかどうかは定かではありませんが。
江戸時代の本草学者(現代の博物学・薬学)だった彼は、生前に自らの遺体を保存する方法を考案し、「後世に機会があれば掘り起こして見よ」と言い伝えていたそうです。
(生前に柿の種を大量に摂取していたそうです)

第2次世界大戦後、墓地移転で改葬する事になり、子孫の方の立会いのもと掘り起こしその遺体を、CTで見たところ脳は縮んでしまっていたものの、ミイラ化することに成功していました!
ミイラ化の具体的な方法については語られていませんが、他のミイラと比較すると、ミイラが赤茶けていることが特徴的。これは死ぬ直前に大量摂取した柿の種子に含まれ、保存に適しているとされる『タンニン』による影響だとされています。
つまり、食べた柿の種が消化されて血液に吸収されるまでは生きていた?
タンニンといういわゆる柿の渋は、防水や防腐効果があるとされていまして、この方の生きていた時代では普通に入手して使用出来た防腐剤だったと推測できますね。

本草学者のミイラにつきましては、上野の国立科学博物館で行われている特別展「ミイラ」で観ることができます。